バンバと伝説
「セネガルで一番尊敬されている人は誰か?」
と誰かに聞かれたら、僕は大統領でもなく、サッカー選手でもなく、バンバを挙げるだろう。
彼はフランスがセネガルに侵略してくる頃から、セネガル国民の精神的な「支え」となってきた。
街を散歩して、彼の姿を見ない日はない。
では、
彼はなぜそんなにもセネガル人に敬愛されるの?
◆ Ahmadou Bambaとは
ムーリッド教団の生みの親。1853年日本に黒船が来航した頃、バンバはンバッケ(Mbacke)に生まれた。彼は当時の北アフリカの神秘家たちに知られていたマーリク派の法学と神秘主義を学ぶことでイスラームについて学んでいった。
フランスによる侵略が進む中、精神的な救いを求めるウォロフ族の農民などがイスラームに精通しているバンバのもとに集まってきた。
フランス植民地政府は、勢力を持ったバンバが「反フランス」となり蜂起することを恐れて、ガボン、モーリタニアへ流刑する。
フランス植民地政府の苦心にも関わらず、ムーリッドの信者は益々増えていき、より熱烈な信仰をするようになっていった。後ほど、植民地政府はバンバに反抗の姿勢がないことを認め、今後は「囲い込み」をすることで平和裏に支配を進めることを決める。植民地政府による落花生のプランテーション政策とバンバの勤勉の教えは、WIN-WINの関係を保ちつつ、共存が長いこと続いた。
バンバは「平和の精神」「勤勉」「善業」を説いた。
彼の言葉からもその考えが伺える。
「私が敵に向ける武器は、預言者モハメッドの栄光をたたえるために使ったペンとインクのみだ」。
あるセネガル友人は私にこう言った。
「バンバは武器を持ってフランス人と『物理的な戦い』はしていないが、セネガル人のために『精神的な闘い』をした。彼は平和の精神を持って闘い続けていた」と。
◆ バンバの教え
【参考文献】
池邉 智基、『セネガルのイスラーム教団ムリッドにおける「バイファル」 —バイファルの宗教生活に対する人類学的調査—』
http://www.iasu.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/01/811d863c8781354506aca5f909b3bf00.pdf
上野 庸平、『僕が見たアフリカの国―セネガル見聞録』、西神田、花伝社、2011/2
小川 了(編著)『セネガルとカーボベルデを知るための60章』、東京、カ明石書店、2010/03/30、P224-230
WHO IS SERIGNE TOUBA? - Daara Touba Atlanta
http://www.toubaatl.org/who-is-serigne-touba.html
◆ 伝説 その壱
バンバには数々の伝説が残っている。
流刑となり、ガボンに船で移動している際、船内での礼拝を禁止されたバンバは絨毯を海に投げ、その上に飛び乗って礼拝を済ませたという。
この伝説を通して、バンバが「奇跡」を起こせる救世主であること、またそのバンバがイスラームに対して敬虔であったことがわかる。
◆ 伝説 その弐
ムーリッド教団の中心地はトゥーバである。この地は1887年にバンバにより作られ、「精神的なものと世俗的なものとの中和」を目的とされた。
トゥーバにはたくさんの宗教施設が存在するがその代表格が図書館Cheikhoul Khadîmである。
バンバは数多くの著作を残し、その数なんと 7トン!だという。これはギネス並みの記録であろう。
セネガル人と話していても「あの図書館のもんはぜーんぶバンバが書いたんだ!」と自慢げに話してくれる。
筆:原田 拓朗