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 映画にみるセネガルの性~ウスマン・センベーヌ『XALA』より~

 

 『XALA』は、インポテンツを患ってしまったある政府役人の物語である。主人公エラジは、横領した金を使って第三夫人に若い妻をむかえたばかりの中年男性だ。しかし、何者かに呪いをかけられたらしく、肝心の初夜だというのに如何せん体が言うことを聞かない。この呪い“XALA”をとくため、彼はマラブー(イスラム教僧侶)のもとをたずねまわり、そしてついにこれを治癒することに成功する。だが、その後エラジは祈祷料を未払いのまま放置。怒ったマラブーに“XALA”を返上され、結局、エラジはまた、インポテンツに戻ってしまうのであった。

 1960年の独立と共に、フランスから政権を勝ち取ったセネガル。しかし、それはただ支配層が白人から黒人にとって代わったというだけの話で、彼らもまた白人と同じように、汚職に手を染め、私利私欲のためのみに奔走する。結局、本質的には何も変わってなどいないのだ。1960年代セネガルを背景に、傲慢な官僚たちの腐敗を描いた本作は、独立を果たしてもなお旧態依然とした国や政府の機能不全ぶりを、インポテンツに見立ててコミカルに批判したのだった。

 と、まあ、この辺りの風刺やテーマについては、ほぼ作品解説の受け売りなので、これ以上書くこともないのだが、そんなことより気になるのは「インポテンツ」である。

 インポテンツ。この気まずすぎる病気を患った男性に対して、人は一体どのような言葉をかけるのだろうか。

 本作『XALA』には、初夜後、新婦側親族のおばさん二人が処女の証を確認しに来るというシーンがある。もちろん、シーツには血痕ひとつついていない。ここで、用意周到というか何というか、二人は万が一のために持参しておいた鶏の首を切り、その血をもってこれを偽装(写真)。さて、圧巻なのはその後だ。シーツに血痕のない原因が、新婦ではなく実はエラジの側にあったと知らされたおばさん二人は、あろうことかうなだれるエラジに向かって、こんな台詞を吐くのである。

 「たたせなさいや!」

 その他にも、やれ「こんな若い娘相手になにをしている」だの何だのと、容赦なくインポテンツを責めまくるおばさんたち。そんなに言って大丈夫?と、ハラハラしつつ先を見ていくと、その後、なぜか彼のインポテンツは周囲の人々みんなに知れ渡っていて、さらにビックリ。第二夫人にまで「たたなかったそうね」などと話を蒸し返される始末なのである。

 こんなプライバシーもクソもない過酷な境遇に追い込まれてしまったら、もう、いろんな意味で立ち直れなくなってしまうんじゃないかと私などは思うのだが、当のエラジはというと、これが大して気をもんでいる風でもなく、むしろわざわざ友達や運転手に付き添ってもらってインポテンツ祈祷にいそいそと通ったりしているのだから、無邪気というか健気というか。その、ただ一途に病気を治そうとがんばる様子は、何だかほほえましくさえあった。

 何かにつけて遠慮を知らずオープンな気質のセネガル人。性に対してもかなり開けっぴろげなのは重々分かっていたつもりだったのだが、インポテンツというこの超デリケート問題まで、こうもあっけらかんと表現されるとは、いやはやまいった。

​鶏の血で処女の証を偽装するおばさん

精力剤

​グリグリを売る店にて

ニジェール産。

成分はなぞである。

​自然薬を売る店にて。

・Keng

・Dibitoor

・Sindia

・Béer

といった木を水につけ、飲用する。

セネガルの大人の世界💛

女性はスケスケの下着、ビンビン(腰につけるアクセサリー)を着用したりなどして、男性の気を盛り上げる。ムードを出すためにお香を焚くことも。

ニュイゼ

Nuizét

​スケスケの下着。

ビンビン

Binbin

​腰につけるアクセサリー。性交時の動きにあわせてビンビン鳴るのがいいらしい。写真の、大きく重いビーズのみで作られたビンビンは、"toggi khuur"(金玉ツブシ)と呼ばれる。

セネガルの性風俗
筆:田辺さおり
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